ESSAY
両祖父母への想いは私の大切な気持ちです。
感謝の意味を込めて、
供養になればと思い書きました。


1   I want to meet again .
 
 
父方の祖母は満州で、生まれたばかりの赤ちゃんとともに亡くなった。祖父は私が中学の時に、祖母は大学に通っていた時に亡くなった。夜中に母に起こされて、祖父の最後を知らされた。やっと日本だ我が家だと、最後の角を曲がったら、家が幕につつまれて、出迎えてはくれない祖母だった。母方の祖父は戦時中のフィリピンで、祖母は幼稚園に通っていた頃に亡くなった。尾道の駅まで迎えに来てくれた祖母も、皆で見送った時の風景も、おぼろげながら覚えている。
 いろいろな事を思い出します。本当に素敵な思い出をありがとうございました。これでも一応なんとか真面目に生きているつもりです。お願いですからこれからも、未熟な私の手を引いていて下さいね。幼かったあの頃の、楽しかったおでかけの。

2   for my grandparents
 
 
あの日いとことふたり祖父に連れられて‘けしぼうず’という山に登った。大人になってこの地を訪れ、懐かしいあの山を捜していた。遠い昔山頂で、いろいろな話をしてくれた。あの道をたどれば祖父とまた会えるだろうか。あの山の、あの道をもう一度。
 
 
中学の頃に私が盲腸で入院した時、数日後に祖父も隣のベッドに入って来た。私は祖父の病名を知らなかった。その時は私の方が身動きできず、祖父に雑誌を買って来てもらったりした。その雑誌が今でも本棚に並んでいる。
 
 
田んぼを見ると思い出す
網とバケツをぶら下げて 祖父とすくった水の中
バット一本ボールを一個 グラブをふたつたずさえて
祖父と出かけた休日は 私の野球の一ページ
 
 
海外旅行のおこずかい  
祖母からもらった1万円  手元に残った1万円
やっと日本に帰って来たのに  おばあちゃんはいなかった
ずっとしまってある1万円
 
 
私は飛行機が怖い。別に乗りたくもないし、乗る必要もない。
行ってみたい国もないし、行く機会もない。たった一度だけ、海外へ出た事はある。そしてその間に祖母を失った。それが嫌いになった原因ではないが、「どうしてそんなに遠くへ行っちゃうのかねぇ」と、寂しそうにしていた祖母を思い出す。

3   onomichi
 
 
子供の頃、毎年夏休みになると‘尾道’に遊びに行った。映画に出てくるフェリーにも、毎日の様に乗っていた。その後まったく行かなくなった。いろいろと事情はあったのだが、ばちあたりな事だと思う。数年前にやっと行った。誰にでも身に覚えのある事だろうが、母の実家は驚くほど小さく感じた。これが本当に息せき切って走って登ったあの坂道なのだろうか。カミキリムシは沢山いたのに、カブトムシやクワガタは一度もつかまえられなかった。私の‘尾道’には春も秋も冬もなく、セミの鳴き声と海水浴。毎日食べた真っ赤なスイカ。
 
 
多分私が幼稚園に入るか入らないかの頃、母方の祖母が佐倉に来た。両親が家を建てたので、はるばる尾道からやって来たのだろう。私を連れてすぐそばの材木屋さんに行った。物干しを作る為だったはずだ。他に覚えているのは、蛍をつかまえて、ある雑草といっしょにびんに入れてくれた事。庭に‘ケイト’が植えてあった事。あの雑草を見かけると、今でもその事を思い出す。未だに名前も知らない草。私にとってはたまらなく特別な植物。


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